伊達成実が礎を築いた城下町「亘理」
亘理伊達家の歴代藩主やその正室などの墓石が並ぶ
伊達政宗の
片腕として力を
発揮した戦国武将
亘理町の郊外にある大雄寺(だいおうじ)には、3つの廟がひっそりと建っています。美しい彩りを施された廟が亘理伊達家初代領主・成実の霊屋で、その傍らに父実元、5代実氏の霊屋が並んでいます。霊屋がある場所は、境内の中でもいちばん眺めのよい高台で、そこに立つと町全体がきれいに見渡せます。
極彩色に飾られた伊達成実の霊屋
領主としても
優秀であった成実
伊達成実は永禄11年(1568)に、伊達実元と伊達政宗の父輝元の妹である鏡清院との間に生まれ、片倉景綱とともに政宗の片腕として活躍しました。慶長7年(1602)に政宗から亘理を与えられ初代領主となった成実は、35歳から79歳で亡くなるまでの44年間亘理を治めました。領主として優れた才能を発揮し、亘理要害の改修、城下の整備、さらに治水、用水、新田開発、塩田開発など亘理の発展に力を尽くし、今日の亘理の基礎を築きました。 成実は天下に名を馳せた勇将で、戦場では退くことを知らなかったといわれ、兜の前立の毛虫がその心意気を表しています。また、文事にも秀でていて、伊達政宗の動向を知ることができる一級資料である「成実記」(「政宗記」「正宗記」ともいう)を著しています。文武両道の成実は、自分の正しいとすること、信じることを正々堂々述べ行動する人物であったことから人々の厚い信頼を得、家臣や領民との間に固い信頼関係があったといわれます。その精神は亘理の人々に脈々と受け継がれ、成実は今もなお亘理において深く敬愛されています。
霊屋に安置されている伊達成実の木像
年2回、
成実の霊屋を御開帳
大雄寺の伊達成実の霊屋は、毎年、1月16日と8月16日に御開帳が行われます。御開帳がいつ頃から行われているのか定かではありませんが、大正時代にはすでに行われていた記録が残されています。1月と8月の16日という日は、亘理の多くの家で「墓参りをする日」であったことから、御開帳が行われるようになったという説が有力です。年2回の機会に、霊屋に安置されている成実の木像をぜひ見てみたいものです。
